ご報告


札幌、東区の実家を離れ東京で美容室で働くために上京した18歳の春。
ど田舎の少年が大都会の銀座で働く事になる。

中央通。今のH&Mの真横の小さなビルの地下で美容人生が始まった。
23年前の美容業界はバリバリ縦社会。しかもお客さんは高級クラブのママや
電通、博報堂などのエリート、銀座興業というヤ○ザの親分なんかも顧客でした。
その親分の「耳かき」担当だったりしたりもしました。

シャンプーだったら「きもちいい」と褒められたい。マッサージも同期に負けたくない。
そんな感情でアシスタントの頃は働いていたのを思い出します。
「喜んでもらいたい」 のベースを学べた銀座時代。
とにかく覚えたい。の一心で勉強した記憶があります。

ある日出会ったアメリカ、ロンドンで勉強して帰って来たかっこいい先輩。
ファッション、トーク、技術の上手さ。刺激を受け店を変える。
銀座→小岩(江戸川区)へ。ここでしばらく頑張るとLA研修に行けるとの事。
その先輩を追って、必ずアメリカ行けるように規定ラインのチェックを受け、21歳でLAへ。

 

東区の顔デカイ少年は西海岸へ。しかも店舗はビバリーヒルズのど真ん中。
毎朝店に近くに移動販売車で来る「ブリトー」を食べるのが日課だった。

 

両サイドグリーンに囲まれた長い道の先には奇麗な人がレセプションにいる。
目の前の広いフカフカのソファーのある待ち合いではドーナッツが置かれ自由に食べれる。
活気のあるサロンは毎日が楽しかった。
毎日必ずへアセットをしにくる近所のセレブおばあさん。
ハリウッドスターも来てました。

 

その頃の日本と違ってアメリカでの美容師の社会的地位は非常に高く誇れる職業。
お客さんは要望など言わない。プロにすべてを任せる。気に入ってもらえれば顧客に、
気に入ってもらえなかったら、口も聞いてくれず…。

 

毎日トレーニングを繰り返し、志も高い先輩との語り合い。

 

21歳で始めて異国文化の中で生活した体験は今でも鮮明に焼き付いています。
約1年の研修を終えた22歳の完全アメリカカブレな少年は再び東京で働く。

 

「札幌に帰りたい」の一心で帰札計画を立てる。

 

23歳で札幌に帰って来た顔のデカイ少年。
3年間フリーの美容師として働き、アジア各国を放浪し、顧客を集めMNADRILL出店!

26歳の11月でした。
勘違いしたままの思考で店をオープンしたもんだから、大きな失敗や、遠回りを繰り返し

 

やがていっきゅうが入社する(涙)

 

「人を育てる事」が重要だと気づきトライ。いまだにうまくいってない(涙)
移転を2回し、現在の場所に。

 

23年間で何回のハサミを開閉し、何千人の髪を切らせてもらい、40歳までやって来れました。
常に「人」に支えられ、助けられていたと思いますし、今もこれからもそうです。

 

飲食業を始めて5年。

 

異業種のチャレンジも「人」との出会いで始まりました。
数年で飲食店もスタッフも増え、責任も増した今。

 

お世話になった美容業界を退き、全体の指揮をとり美容、飲食で喜んでもらえるカンパニーづくり
に専念する事を決意しました。

 

顧客の皆様には予約も取れず、切りたいときに切れないという状態を続けてしまった事を
お詫びします。

 

20年来のお客様もいます。若い頃から来ていただき、共に成長してきました。
恋愛、別れ、就職、結婚…
美容師は色んな人の様々な人生に触れ、お互いの経過を「知っている」長く続き
素晴らしい人間関係を築けるのが美容師です。
飲食店スタッフも、美容室の顧客からのスタッフもたくさんいます。

 

髪型ひとつで変わる気分。
会話の中からいただくパワー。
どん底な状況な時も、超ハッピーな時も色んな人のあらゆる人生に少し触れる事ができる仕事でした。

 

23年間関わっていただいた全てに感謝し、40歳からの新しい人生を思い切り駆け抜けたいと思っています。

 

顧客様にはDMが届くと思います。
身勝手な決断をお許し下さい。
引き継ぎはスタッフにしていますので、安心してまた来ていただけると嬉しく思います。
本当にどうもありがとうございました。

 

 

高原 健一郎